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建物達は、ぶつかるほどに身を寄せ合っていて、何かに怯えているようにも見える。その隙間には暗がりがあり、そこへと向かって道が伸びていた。地下への穴が隠れているのは、その途中だった。
引ったくりはしゃにむにこの道に逃げ込むと、すぐにふたを探し当てた。必要なだけずらすと、素早く滑り込み、慣れた手つきで元に戻した。
そして数秒。追っ手が追いつき、この道を見つけるのに必要だろう分だけ息を潜めた。
子供のはしゃぐ声が聞こえていた。うっせーぞ! と叱る声も聞こえた。はしゃぎ声は止まなかったけれども。一度どこかの窓が開き、そして乱暴に閉められた。けれど、追っ手らしき足音も、罵倒も聞えてきはしなかった。
引ったくりはため息をついた。安心したのと、してやったりと言う思いと。追ってきたのは魔道士らしいと思っていたが、びびるまでもなかったか。
引ったくりをドラゴンとすれば、魔法を使える輩はそのスレイヤーだ。どんなに速い足を持っていたって、やつらの前では意味がない。どんなに離れていたって、魔法には叶わない。卑怯だと引ったくりは思う。魔法も魔道士も。
魔法って言うのが生まれつきの力なら、魔道士どもは前世でよっぽど苦労してきたのだろうか。
前世などと言う話、引ったくりは信じていなかったが。いや、嫌ってさえいる。
それが正しいとすれば、前世での自分はきっとそこそこの悪人で、そのつけのためにこんな仕事(ひったくり)をする羽目になっているのだろう。しかしこんな悪事をしているからには来世だってろくなものじゃないに決まっている。
俺が王様になってぜいたくできるのは、いや、ごく普通の農民でいい、平凡な人生を生きれるようになるまで、一体何回生まれ変わればいいのだろう。
はしごを降りると、堅い足場があった。足場のすぐそばを水が流れていく。地下の水路。頭上のふたの縁から、わずかに光が差し込み、光の円柱を作り出している。水路の途中に明かりはなく、円柱の外は世界が違うかのように暗かった。
引ったくりは躊躇することなく、明かりから抜ける。道筋など見えなかったが、何度も逃げた道だ。壁を見失いさえしなければ、目的の場所にたどり着く自信があった。
右手を壁に突く。かばんは左手にぶらさげた。それは女性用のもので、引ったくりには小さかった。
女からは盗らない。そんなことを言っていたのはいつのことだったか。けれど、食うためにはこれしかないのだ。
構いやしない。どうせやつらは、こんなのいくらでも買えるんだから。
右手を壁に突っ張ったまま。足の不自由な老人が杖を突きながら行くときのように、不器用な様子で、引ったくりは進んでいった。
角を一つ曲がるととうとう明かりはなくなって、水路は真っ暗になった。
こう言うときのために周囲を照らす道具を持ってはいたが、引ったくりは使わなかった。それは魔道士の作る品で、すぐ切れるくせに値が張るのだ。
こっちは明日の飯さえ不自由なんだ。
いくつかの角を曲がり、いくつかの穴をやり過ごした。大通りの向こうへ行こうと画策(かくさく)しているのだが、今はまだ上がれない。追っ手がうろうろしているかもしれない。あいつらは何者だろうか、女の男だとしたら厄介だ。
そんなことを思いながら、角を上がり、三つ目の穴を見つけたときだった。
ふたが開き、人が、降って来た。
突然のことに引ったくりが逃げなかったのは、それが少女だったからだ。たぶん助けようとしたのだと、引ったくりは後になって悟る。
少女めがけ走り出していた。
十五歩ほどの距離、当然追いつけない。しかし彼女は上手く足から着地して、しりもちをつく。
急制動、引ったくりは近づくのを止めた。少女が、
「危ないじゃない!」
見上げながら叫んだからだ。穴の上に誰かいる。
「おいおい、かん違いすんなよ」
「危なくないなんて言ってないぜ」
「冒険に危険はつきもの、ってやつ」
声からして子供だ。また悪がきどもが。しかし叱れる立場になく、と言うより人前に出られる立場でもなく、少女が立ったのを確かめると、引ったくりはそっと後ずさりする。
穴から明かりが漏れて、水路はずいぶんと明るくなっていた。最悪、見つかる。
「ふざけないで!」
「おいおい、俺らは教えてやっただけじゃないか」
「そうそう、聞いたのおまえだよ」
一方的な応酬に背を向け、引ったくりは角のそばまで来た。すると「じゃ、がんばって」そんな声を最後にぴしゃりと暗くなった。ふたが閉まったのだ。
いやな予感がした。
「ちょっと何するの! 開けなさい、ねぇ!」
少女の声が水路の中に響く。響くと言うことは当然彼女は中にいるわけで。悪がきどもは外にいるわけで。
暗闇の中耳を澄ましていると「聞えているの!?」そんなことを言いながらはしごを上る音がした。引ったくりはそこを動けない。ふたにまでたどり着いたのだろう、持ち上げようと力を込める声がする。そして、それは持ち上がらなかったらしい。
「まー、がんばりなさい」
そんな声が外からする。引ったくりは怒鳴りそうになった。ごとりと言う音を聞いたのだ。重しを置いたに違いなかった。
追っかけて、殴ってやりたい衝動に駆られた。
けれどしなかった。今の自分はそんなことを言える人間ではないし、そもそも、そんな騒ぎを起こしたくはない。今出て、ばれるなんて馬鹿げてる。
重しを置かれたことにに気づいていないのか、少女はまだふたを持ち上げようとしている。
「ねぇ! こんなことしていいと思っているの!?」
いつ気づくだろうか。せめて開かないだろうことは教えてやるべきだろうか。開かないと気づくと、泣き出すんだろうか。せめて出口の案内ぐらいは……いや、まっぴらごめんだ。何で知りもしないやつのためにそこまでしなければいけない?
構いやしない。泣こうがわめこうが、いつか勝手に出口を見つけるさ。
少女に背を向け、引ったくりは進みだす。
進路は変更だ。引ったくりは頭の中に地図を描く。どこに逃げようか。そう考えようとする。
けれど消えやしなかった。すこし泣きそうな、それなのに強がる少女の声は響いて、助けを求めてくるのだった。
少女の声はよく響く。角をいくつ逃げたら聞えなくなるだろう。理不尽に落とされて、助けもなく、暗い中に置き去りにされた者の声は。日の当たる場所で、やつらが笑っている。その声を聞きながら泣くしかないんだ。
引ったくりは左手で、壁の感触を確かめた。左手を壁に突いたから、方向は逆転するわけで。
いや、逆転などしない。落とされたものは落とされたままで、上にはもう戻れない。戻してくれる神などいない。せめてできるのは涙を止めて、歯軋りしながら歩いていくことだ。自分だけの力で。
そう、どんな汚い手を使ってだって、自分の力だけで。ずっとそうしてきた。ずっと暗い中を進んできた。誰にも、誰にも頼ることなどなかった。
だって、誰も助けてくれなかったから。誰も助けてくれなかったんだ。
水路の中は暗かった。真っ暗だった。
それはこするような、不自然な足音だった。
「だれっ!?」
少女が振り向いたらしい気配を感じて、引ったくりはそれを使った。
魔力由来の携帯灯。魔道士はぼったくるが、仕事はきちんとしている。水路の中に確かな光が灯った。