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サタンの目

カテゴリー:冒険

サタンの目

(全1話)

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タイトル

2009/07/03

1~4話


本文



サタンの目

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1、 放たれた悪魔

岩手新報 3月13日朝刊より

<昨夜未明、東北自動車道上り線盛岡IC付近において乗用車とトラック衝突事故。運転手ら3人死亡。3時間にわたって一部区間閉鎖。>

「いやあ、びっくりしましたよ。私が走行車線を100キロぐらいで走っていたんですよ。そしたらね、右側、追い越し車線を物凄いスピードで追い越した車がいましてね。ほら、えーっと、日進自動車のスカイライナーって言うんですか?速いやつね。何をあんなスピードだしてんだ?って思ってたらね、追い越して行った車の右側から火花みたいのが見えて、あ!っと思ったら左を走ってたトラックにドーンって感じで突っ込んで行ったんですよ。驚きました。突っ込んで反動でまた左へ転んで行った…そう、転んで行ったっていう感じでしたよ。ほんと。トラックは…、橋だったんですね。ガードレール突破ってそのまま下へ…。私はやったな!と思って路肩へ止まったんですよ。他にも私の後ろを走っていた車が何台か止まりましたね。ちゅうか、止まらんとこっちも危なかったですからねえ。スカイライナーの方は走行車線と追い越し車線をまたぐように止まってましたからねえ。遠目で見てもありゃだめな感じでしたよ。前も横もぐちゃぐちゃでしたからねえ。あ、やっぱり…死んだんですかあ。そうでしょうねえ…あれじゃあ…」

 

その日の午後、チューニングショップでパーツの取りつけを終えた田島宏の心は弾んでいた。彼にとってこの車は命の次に大事な物だ。この車の中で死ねたら本望とさえ思ってた。高校1年の時、この車の存在を知り、それに魅入られた。彼の高校生活はバイトに明け暮れた3年間だった。卒業して2年目の春、念願のこの車を購入した。就職後も、貰った給料は全て購入資金につぎ込んでいたのだった。

その車、日進自動車工業が世界に誇る、市販車最速を謳うGTカー、スカイライナーGTZ。田島宏はその魔力にあこがれ、自らをその陶酔の中に浸らせたいと願っていたのだった。そして夢が叶った。

だが、それは、現実は冷たいものだった。(こんなはずじゃない。)初めてステアリングを握った彼が感じたのは裏切りの現実だった。(なぜ?どうして?)

「結局はさ。市販車だからね。金さえあれば誰でも買える。乗れる。つまりね、乗り手を選ぶような車は販売できないわけよ。本当の実力は押えられて、無難なようにデチューンされているんだ。」

知り合いのチューニングショップの店長はそんな事も知らないのか?と言わんばかりの顔でそう言った。

「じゃあ、スカイライナーの本当の性能は出せないって事ですか?」

「いや、そんな事はないよ。メーカーが押さえた性能を元に戻し、本来の性能を発揮するようにする。それがチューニングなのさ。」

「チューニング…調律かあ。なるほど。」

「そうそう。全体のバランスを考えてより良い方向へ性能を持って行く、上げて行く。そういう事ね。わかる?」

「はい。わかります。じゃあ僕の車も…」

「出来るよ。もちろん。ただし、それなりの金はかかるからさ。見積もり出す?他のお客さんがやったメニューで結構好評だったのがあるんだ。それを参考にアレンジも出来るよ。どう?」

「はい。ぜひお願いします。」

それから一ヶ月、来るべき日を彼はじっと待っていた。

「やっと、やっと戻ってきた。いよいよ本当のスカイライナーに乗れるんだ。」

彼は高速道路を目指し、ゆっくりと発進させた。

高速道路を常識から外れた猛スピードで走行し、ステアリング操作を誤った彼は二度と帰らぬ人となったのだ。

 

「佐藤主任、ちょっと聞いていいですか?」

「なんだい?」

「んっと、積み荷なんですが、あんな小さい箱一個のためにこれ、特殊運搬車を出すって…いったいあれは何なんですか?重いものでもないし…」

「小林君、我々の仕事は依頼された物を指定された場所へ運ぶ、それだけなんだ。積み荷が何であろうが関係ない。」

「それはそうなんですけど…」

「いいかい。まだわからないようだな。気にするな、余計な事をするな、それが会社の命令なんだ。詮索は止すんだ。いいな。」

「はあ。でも、この特殊車ってうわさでは防弾ガラス付きでボディーも特殊鋼、GPS追跡装置付きって…。よっぽどの物しか運ばないって…」

「いいかげんにしたまえ!」

「す、すいません。」

「それじゃあ、君が知らない事を教えてあげようか?」

「え?」

「君が言った装備の他にこの車には監視レコーダーが付いている。君と私の会話は全て録音されているんだ。わかったかな?」

「それ、それって…」

「そうだ。我々の行動を監視するためだ。」

「…。」

アース・セキュリティ社。日本でシェアナンバーワンの総合的警備会社である。守れないものは無い、運べないものは無いをキャッチフレーズにする。社長の宇佐美秀樹は常に長者番付のトップを飾る男だ。

「や、辞めようかな…おれ…」

小林と呼ばれた若い男がそう呟いた時、それは起こった。

バーーン!!

「うわ!!」

運転していた小林は右側方から物凄い音と衝撃を感じ、思わずステアリングを左に切っていた。

「小林君!危ない!うわー!」

急ハンドルと衝撃でバランスを失った車体は右側へ傾きながら進行方向を左へ変え、ガードレールを突破って橋梁の下へと落下して行った。

佐藤は全てが何の事かわからず、その一瞬、ほんの数秒間の出来事の中に意識を失っていた。落下したトラックは爆音と共に紅蓮の炎に被われた。

 

「おんや?ばっちゃ、その猫なんだべ?」

「この猫あ、今朝庭さいだだべよ。」

「なんぼ汚ねえ猫だべなあ。ばっちゃ、洗ってやればいいべ。」

「んだな。猫ば洗うもんでねえって言うばって、こいだばなあ、洗わねばまいねなあ。」

老夫婦の前には二人の朝食の残り物ではあるが、食事を終え満足そうな表情をしている汚れた猫が座っていた。

 


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2、 コードネーム

「あんれまあ、じっちゃん、じっちゃん。早ぐ来てけろじゃ。」

「なんだべ。そったら泡食って。」

「あの猫、まだ来てらじゃ。」

「おおお。戻っで来たが。腹っこ空がしてるんでねべがなあ。」

「それがまんだこの前よりも汚れでまってる。洗っでがら飯食べさせるべ。」

「ほんだな。どれ、儂が洗っでけるべ。おー、こっちゃ連れで来い。」

「あいあい。ちょっと待てでけろ。」

 

毎読新聞 3月25日朝刊より

<3月24日午後3時ごろ岩手県水沢市猪野沢村3丁目4番1号 小野田庄作さん(75才)宅で小野田さんと夫人のみわさん(70才)かと思われる老人二人の惨殺死体を発見。隣家のご主人が、ここ2、3日二人の姿を見かけない事を不安に思い、小野田さん方を訪問。台所で倒れている二人を発見し猪野沢村駐在所へ通報。盛岡県警水沢警察署では他殺とみて捜査本部を設置。現在、被害者の身元確認を急いでいる。>

「栗原君、この記事をどう思いますか?」

「はい、社長。これはD-03の仕業と思えますが。」

「うむ。そう思うかね。では、何故、このような仕儀になったのでしょう?」

「搬送途中の不慮の事故が原因かと。」

「不慮の事故ですか。それは予めシュミレーション出来なかった事でしょうか?」

「あ、はい。全く予測不能の事態かと…。」

「栗原君。私はとても残念です。輸送部門の総括責任者に君のような無能者を専任したという事実が。いえ、君の無能さを嘆くより己の人を見る目、能力評価の甘さを反省していますよ。」

「それは…。いえ、申し訳ありません。」

「誤らなくても結構です。もう帰って下さい。明日から出社する必要はありません。よろしいですか?」

「あ…。」

「もう下がって結構です。君は事態の深刻さが理解できていないようですね。事態は君の首如きで住む問題ではないのですよ?我社の進退、政界をも揺るがす程の大事なのです。君には理解できないでしょうが。」

「わかりました…。」

 

「さて、大友君。今日から君には輸送部門総括責任者を命じます。それから、臨時に今回の事故収拾とD-03、N-05の回収作業責任者をして下さい。方法は任せます。事が事ですから、あくまで秘密裏に。」

「コードネームD-03とN-05。D-03の生存は今回の事件で確認できますが、N-05の方は未だ未確認です。至急業務に取り掛かります。が、確認後の処理は廃棄で構いませんか?」

「そうですねえ…。二体には莫大な研究費と開発費がかかっていますが、この際仕方がない事でしょうね。まあ、N-05の方は特に問題が無いとしても、D-03は絶対に放置しておくわけにはいきませんから。」

「わかりました。では。」

「あ、二体は我々の想像を越えた力があります。けっして甘く見ないように。」

「はい。重々承知しております。」

 

アース・セキュリティ社社長宇佐美は自分だけしか知らないテレフォンナンバーをゆっくりと押した。

「アース・セキュリティの宇佐美です。例の商品、コードネームD-03の件ですが、え?ご覧になった?そうですか。事情が事情ですから。もちろんそちらへご迷惑はかけません。最悪の事態になったとしても私が全責任を負いますから。ええ、もちろん処分します。勿体ない?あはは、そうですねえ。確かにおっしゃる通りです。しかし、存在の片鱗が少しでも顕れた今としては、全てを白紙に戻すのが最善の策でしょう。はい。わかりました。詳しいことは後程。では。」

宇佐美は受話器をそっと戻し、椅子に深く腰を下ろし、そっと目を閉じた。

(残念だ。あの二体は芸術とも呼べるものだ。そうとも、芸術だ。人の本質を形を変えて創り出したもの。保身と排斥。神が創造するのも憚れる程のもの。なのに…、なぜ処分などしなければいけないのだ。残念だ。)

 

D-03=destroyer(破壊神)

N-05=knight(騎士)

それぞれのコードネームを持つ商品とは?

それは、コンテナの中で眠らされ、北海道から東京まで搬送される途中事故に巻き込まれた、あのトラックの中にあったのだ。

我々の目には猫としか映らないものだった。

 


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3、 生存

日本の九州からそう遠くない他国。大陸の岬のような形をした、南北に分断された二つの国で勃発している戦争。

どちら側も統一を歌い文句にしてはいるが、統一国家としての主導権獲得を主張している。民族の骨格は社会主義だ、民主主義だ、と譲らない。結論として、両国ともそれを決定するのは力、軍事力だ、とした。国政論では互いに譲らないが、その点だけは共通の意識を持っている。

 

「しかし、北の指導者はいかれてますなあ。発想が全て排斥、それも自国民が生き残れるなら南の人民は一人残らず…、ということですからなあ。共存共栄などという意識は彼等に無いのですからねえ。悲しい事にそう思っているのは国の一部の人間だけ、権力と金を握っている1%の人間だけですからね。残りの99%は離れ離れになった肉親達と再び共に暮らすためには統一しかない、と思っているのですから…悲しい事ですな。」

「ふん。何が悲しい、だ。その一部のねじ曲がった欲望を満たすための商品を創り出したのはあなただろう。そして、それを北へ売り莫大な利益を貪ろうとしている。」

「いえいえ。潤うのは会社だけですよ。つまりあの若社長がね。私は商品をより良いものにするのが生き甲斐なのですよ。だからこそ、この10年間何も言わずに、こんな所にいるんですよ。おわかりですかな?」

「まあいい。ところで商品…D-03の事なのだが、どうすればいい?」

「ははは。無理ですな。あれは警察や自衛隊を総動員しても捕獲、破壊は無理ですな。」

「ふん。脅しか。」

「いえ、事実ですよ。あ、一つだけ手段がありますな。核兵器。この国ごとふっ飛ばせばよろしい。」

「先生。私はあなたのつまらない冗談に付き合うためにここへ来たわけではないんだ。その辺で辞めておいたほうがいい。」

「大友さん。あなたの新しい業務には同情を禁じ得ませんなあ。無理な事を命令されているのですからねえ。」

「いいかげんにしろ。」

大友は相手の首を右手で絞めあげた。素早い動きだ。

「あぐ…う。ひとつだけあ…りま…」

「まだ楽しみを続けたかったら真面目に答えろ。」

「す。…はあ、はあ。わかりました。はあ…。ごほっ。D-03をおとなしくさせるためにはN-05が必要なんですよ。」

「なに?」

「つまり、あの二体は表裏一体、D-03はN-05が半径10m以内に存在する事で動きを止めるんです。破壊活動を自制できるんですよ。そういう仕組みになっているんです。」

「つまり、もう一体を探し出せ、という事か。」

「そうです。ですから…事故現場付近にN-05らしき残骸が無い、生存の可能性に賭けてまずそれを探し出すのが先決なんです。わかりますか?D-03の破壊殺戮活動は現実に始まっているんです。N-05が近くにいないからなんですよ。行動が始まった以上もう止められるのは…」

「わかった。もういい。それしか方法が無いんだな?」

「ええ。D-03は破壊、N-05はそれを命じた者の生命を守る、そういう事なんです。」

「なるほど。D-03・・・デストロイヤー、N-05・・・ナイト、そういう意味なのか。手荒な事をして悪かった。ところでN-05は生存していると思うか?」

「100%生きています。あんな事故はなんでもない事でしょう。」

「よし。」

「あ、大友さん。言っておきますが、N-05はD-03と違い己に攻撃活動をしない者への攻撃はしません。けっして手荒な扱いはしないように。」

「うむ。ありがとう。」

 

大友が去った後、先生と呼ばれた男は首をさすりながら呟いていた。

(ふん。お前らのような者にあの二体がなんとかできるものか。そのうち尻尾を巻いて逃げ帰って来るのがおちだ。覚えていろ…。)

アース・セキュリティ函館支社総合研究所と呼ばれているその建物の周りには、春の遅い湿った雪が降り積もっていた。

 


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4、 他人

東北のターミナル・シティ仙台市。田舎と都会を融合させた独特の文化を持つ都市である。その中心部から少し離れた郊外にあるとあるマンションのその一室。一見するとアパートだが、管理会社ではしきりとマンションを強調していた。

「だから、戻ってきたら必ず返すから。ね?ゆうちゃんお願い。ね?」

「ねえ、靖子。その男と旅行へ行くために私からお金を借りるって事でしょう?いいかげんにしてよ。男と遊ぶ金を人から借りる。つまりさあ、相手の男っていうのもお金が無いって事よね。なんで女のあなたが用立てなきゃいけないの?単純に、穿った見方だけど…騙されてるんじゃない?って思うわよ。」

「そんなことないってば。向こうは向こうの都合があるのよね。出す時は出す。今度はあたしが、って事なのよ。ね?お願い、一生に一度の頼みだから。」

「一生に一度って…。ね、はっきり言うわよ。男と遊ぶためのお金を他人から借りる、最低だわ。」

「最低だなんて酷いわよ。」

「じゃあ言い直す。生きている価値無し。あなたもその男も。」

「…そんな。」

「貸さない。それが私の返事よ。わかった?」

「もういい。もういいわよ。わかったわ。もう絶交ね。ふん。」

「馬鹿みたい…。」

「そうよ。私は馬鹿よ。あなたと違って知能が低いわよ。」

「ママ…」

二人のやりとりをじっと黙って見ていた三才ぐらいの女の子がつぶやいた。その子は靖子と呼ばれた女性の子供である。

「じゃ、行くわ。もう来ない。」

そう言い残して靖子は部屋を出ていった。

「あ!靖子待って!この子…」

子供の手をとり、靖子を追いかけて部屋の外へ出た。

「ねー!待って!この子はどうするのよ!?」

「あ、ごめーん、悪いけど帰って来るまで面倒みててー。お願いねー。」

車の助手席に体を半分滑り込ませながら靖子は大声で答えた。

「え…、面倒みてって…そんな…、そんな無理よ。無理だわ!待って!!」

走り出した車の窓から靖子は笑顔で手を振っていた。その唇は(ごめんね。お願い。)と動いていた。

「あ…。行っちゃった…」

「ママ…。まきも行く…。ママー。」

自分の置かれた状況が飲み込めたのか哀しそうに泣き出した。

「もう、泣かないでよ。泣きたいのはこっちの方よ。」

泣いている子供の側でどうしていいのかわからないまま、彼女は立ちすくんでいた。

 

坂巻靖子と北条有子は高校時代からの友人だった。最初はなんとなく気が合う同じ部活の仲間だったのが、知らず知らずのうち親友となっていったのだった。別々の大学へ進学し、別々の社会へ出た後も、親友関係は続いていた。

二人とも今年36才。靖子は大学を卒業した後、同じ大学のサークル仲間だった男と結婚し二年で別れ、28才の時、10才年上の医者と結婚した。相手の医者は靖子が夜勤めていたクラブの客だった。しかし、その医者とも昨年別れたのだった。まきはその医者との間に生まれた子供だ。医者は子供を引取ると言ったのだが、靖子が頑強に拒んだ。

「あの男に未練は無いけど、この子は私の子。私が産んだんだもん。」

理由を尋ねた有子に彼女はそう言った。

子供と自分の生活の為、見た目が20代後半にも見える靖子は自然と夜の仕事を選んだのだった。

今の彼氏というのは、店に良く来る大学生だった。

「大学生って…、もう靖子ってば、なに考えてんの?」

「うん。21なの。若いっていいわよ。それにさあ、彼の家って結構資産家なのよ。お父さんが会社社長。彼はうぶな大学生。うふふ。」

「ね、ね?靖子、あなたにはまきちゃんていう子供がいるのよ?考えてるの?」

「だからさあ。子供の為なのよ。わかってないのはゆうちゃんの方。わかってないんだからあ。」

二人の関係を聞いた時、靖子はそううそぶいたのだった。

 

北条有子は未だ独身だった。今までに何度も結婚のチャンスはあった。だが、考えれば考えるほど結婚が空しいものに思えて、yesと言えなかったのだ。男と付き合っているうちは楽しく、一緒に居たい、暮らしたい、この人だったら、と思うのだが、いざ相手が結婚しよう、となるといつも気持ちが退いて行くのだった。理由はわからない。漠然と否定的になって行く自分がそこにあるだけだった。

そして、その返事を聞いた男たちは皆彼女のもとを去っていった。

(自分の気持ちに嘘をついてまで結婚なんかしたくない。したくなる時は自然に来るんだわ。)

今は一人の生活にすっかり慣れ、そういう生活を失いたくない気持ちが勝っていた。

 

「ねえ、まきちゃん。お腹空かない?」

「うん。」

「うん、ってどっちなの?はっきりしない子はおねえちゃん嫌いだよ?」

「お腹空いた。」

「だよね。コンビニになんか買いに行こうか?」

「うん。」

まきは左腕に白い猫のぬいぐるみを抱き、右手で有子の左手をぎゅっと握りしめた。

「あ、そのぬいぐるみ、おねえちゃんのプレゼントだ。」

「うん。ピピちゃん。かわいいの。」

「かわいいね。なんたっておねえちゃんが選んだんだもん。」

「ピピもお腹が空いたの。おねえちゃん、ピピのご飯一緒に買っていい?」

「うん。いいよ。さ、いこ。」

 

夜の静かな道をまきと歩きながら、有子は考えていた。(いくらかわいい素直な子供でも私の子じゃない。この子には何の責任も無いけど、やっぱり私とは他人なんだ。いくら親友でも、物を置いていくようにこの子を置き去りにしていった靖子は許せない。まして若い男と遊びに行くために…。)

「おねえちゃん。怒ってるの?」

「え?どうして?怒ってなんかいないよ?」

「だってえ…さっきからずっとお話してくれないんだもん。」

「あ、ごめんね。怒ってないからね。何を食べようか考えていたの。まきちゃんは何がいい?」

「んっと…おでん…たまごがいいな。」

「うん。おでん食べよっか。あったかいよ。今日はおでんにしようね。」

「ピピもおでんがいいっていってるー。」

(この子に他人だなんて絶対言えないな。でも…)

なにか釈然としないまま、有子の新しい同居者との生活は始まってた。

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