iphoneネット小説ビューア

目やに

カテゴリー:短編

目やに

(全1話)

完結  PDF   PDFダウンロード

文字サイズ  大  中  小

タイトル

2009/12/03

目やに


本文



 宇宙論によれば、あらゆる物を呑み込む天体が存在するという。非常に強力な重力を持つ、いわゆるブラックホールだ。その重力圏内からは光すら脱出できないことから、光によってしか物体を視ることのできない我々には不可視であり、その天体が存在するであろう地点を観測した場合には、さながら何も無いかのように、ぽっかり開いた穴のごとくであろうと推測される。でもさ、それって本当は、無い、ってことなんじゃないの? 視ることのできないものを存在するだとかしないだとか議論するのは、素人目には不毛にも思える。ブラックホールの中心にあるような特異点は、情報の伝達が断絶した場所にしか存在しないとする仮説もあるそうな。
 でも、剥き出しの特異点なら一つ知っている。そいつは東京の町田にある。ブラックホールほどは強力じゃないけど、呑み込まれた書籍その他のメディアは脱出不可能。かく言う僕も被害者の一人だ。失ったメディアは数知れず…ま、たいていの物は諦めたけど(相当の量の書籍を貸し…じゃなかった、呑み込まれているので、それが全部戻ってきたら、おそらく僕の部屋の本棚はパンクしてしまう。風と木の詩全巻とか、いちご100%全巻とか…)でも、諦めきれない物もある。

 ひとつは、尊敬する根本敬先生の、『因果鉄道の旅』という本だ。秋田で学生をしていた頃、東京のサブカルチャーに憧れていた僕は、就職活動のため水道橋にある某企業の面接を受けたとき、帰りの新幹線が発車するまでのわずかな時間を使い、わざわざ中野のタコシェまで行って買ったのだ。中野サンモールを駆け抜けて流した汗、タコシェに大事な手提げ鞄を置き忘れたことに気が付いたときの冷や汗…そんな酸っぱい思い出も含めて、大変思い入れのある一冊なので、何としても取り戻したい。
 それから、電気グルーヴというテクノユニットがソニーレコードからアルバム『FLASH PAPA』を発売したときの販促グッズのシングルCD。これは今となっては貴重なもので(多分)、僕が中学生のころY君という友達のお姉さん(美大生)がどこからか貰ってきたものを、五〇〇円を担保に借り受けて、そのままになっているという代物だ。当時の僕は田舎中学生のくせに物欲のカタマリのような奴で、およそ限定とか非売品などと名の付いた物には目が無く、貪欲かつズルガシコく何でもかんでも手に入れようと必死で、そのCDも返す気などなかった。
 ところが中学校を卒業して同級生と会うことも滅多になくなった頃、Y君と、同じ中学で僕とも時々つるんでいたM君が仲良くやっていると風の噂で知り、その他にも、同級生どうし友達関係を持続していたり、内輪だけで同窓会を開いたりしているとかいう話を耳にして、旧友から誰一人して声をかけられることの無かった僕は、中学三年間の強欲だった自分を省みて嘆きつつ、何か機会を見つけて借りっぱなしのCDを返し、あわよくば友好関係を復活させたい、同窓会にも呼ばれたい、などと常々考えてはいたのだが、そのチャンスもないまま十数年が経過し、同窓会にも呼ばれずじまいである。話が変な方向へ反れたが、つまりそういう大事な物なので、このまま失ってしまうわけにはいかないのだ。

 町田にある件の特異点は、小田急の駅から徒歩で二十分程の住宅が密集した地域にあり、そのうえ隣の部屋からクシャミが聞こえるくらい壁の薄いアパートの一室に巣食っているという危険極まりない状況だが、表向きには法に触れるような事をしていないため(前記のような被害をシカルベキ所に届ければ別かもしれないが、呑み込まれたメディアの数々がブラックホールよろしく素粒子レベルまで破壊されてしまっていては証拠も見つからないだろうから、)行政に撤去されそうな様子もない。人当たりは良くはないが、そもそも人とあまり接触しようとしないし、顔の下半分をマダラに覆った無精髭がみっともないだけの人畜無害な中年男である。このあいだ電話をしたら、風邪をこじらせて、満足に出かけられず飲み食いにも困っているそうなので、差し入れがてら貸出品奪還作戦を決行することにした。
 西友で鍋焼きうどん三つと玉子一〇個入り一パック、それに缶入りのトマトジュースを半ダース購入。昔は風邪をもらうと、こういう物を食べさせられていた気がする…。町田街道をわき道に逸れてクネクネっと歩いた先にアパートというより長屋といった体の建物、その一階のドン突きの、緑青みたいな汚い斑のドアの脇にある、ヒビのいった呼び鈴のボタンを押すと、不幸せを絵に描いたような消え入りそうな低音が、むかし伊奈かっぺいという人が電池の切れかかった呼び鈴の電子音は、貧乏、貧乏と聞こえると言っていたが、まさしくそんなような音がし、続いて
「開いてるよ~」
 という、存外元気そうな佐藤氏の声がドアの向こうから聞こえたので、私はドアノブを捻り、堂々と彼の特異点への侵入を果たした。

「――すまないが、早速煮てくれないかな。目やにが酷くてね、曖昧にしか物が見えんのだよ。」
 佐藤氏は文字通り足の踏み場も無い本や紙の束に埋もれた文机を前に(よく見えないが足元には布団があるようだ。一日じゅう殆どその場所から動かないのだろう)、ボールペンを持つ手を休めることなく、そう言った。曖昧にしか見えない割には書いているじゃないか…と、文机の上の彼のノートを上から覗き込むと、バクテリアが交通事故で死んだような読むに耐えない文字の羅列で、まあこんな字では見えても見えなくても変わらないかもしれない。
 …にしても、風邪だと自分で言う割には、鼻水をすする様子もないし、声の調子も悪くない。目やにばかりが酷くなる風邪だなんて聞いたことが無い。
「そう言うけどキミ、これァ厄介なモンだよ。何しろ視界を遮るものが鼻っ面よりも手前から湧いて出るンだからね。…ああ、もう、鬱陶しいったら…」
 彼が目に指を突っ込むような勢いで擦りつけると、割れた米粒みた目やにがボタボタとノートの上に転がった。アレの上からボールペンでグリグリやるんだろうなあ…とチョット厭な気分になりながら、つま先立ちでゴミ山のような部屋から台所へと移動し(台所がコレマタ汚い。こりゃ地獄の口だ。私はここで調理した物を食べたくない)、鍋焼きうどんを一パック開けて水道水を注ぎ、アルミの容器ごとガスコンロにかけた。最初は弱火で始めるのがコツだった、と思う。
「玉子は汁が沸いてからね。いやァしかし僕の好物をヨク知っていたね。IHコンロなんていう如何にも未来的なのが出てきたけど、鍋焼きうどんが出来ないとは、とんだ盲点だね。うちはガスコンロでよかったなあ!」
 ああ、そう…と言ってしまいそうなのをグッと堪えて、火にかけたアルミ容器がチリチリ言い出すのを黙って眺めていると、氏は執筆に没頭し始め……暫し沈黙。

「――ときに、」
 佐藤氏はフト、ペンを握る手を止めて口を開いた。
「君にとっての理想の世界とは、何かね。」
 唐突な質問だ。理想の世界――、小さな泡の立ち始めた鍋焼きうどんの汁に浮かぶ干しシイタケを漫然と眺めながら、背中越しに答えた。
「働かなくて良い世界、ですかね。」
「フッ、」
 いかにも平凡な回答だ、とでも言いたげに、鼻で笑うのだった。下らない質問を振ったのは自分じゃないか。鍋焼きうどんに糞でも浮かべてやろうかと思う。
「で、君はソノ、働かなくて良い世界でどうするの?」
「家に篭ってインターネット三昧ッスね。」
 真面目に答えるのがバカらしくなったのでテキトーに答える。
「バカな。働いていないのにキミ、電気代はどうするんだね。」
「太陽光発電ですよ。」
 通信料のほうが掛かりそうなものだが、もうどうでも良い。眠たくなってきた。しかし何故そんなコトを聞くんだろうか。少し気になって振り向くと、佐藤氏は何やら考え込んでいる様子だ。
「…働かなくて…太陽光発電ね…ブツブツ……」
 ブツブツ言いながらメモをとっている。なんだ、鼻で笑ったくせに。
「じゃあ、佐藤さんが思う理想の世界っての、教えて下さいよ。」
「…なんだとう?」
 氏はボールペンの先で頭をガリガリやりはじめた。マズいことでも聞いたんだろうか?
「それがわかれば…アッ、うどん!」

 鍋焼きうどんが吹きこぼれたので、話は終わりだ。その辺にあったお盆(というかタダの杉板だ。壊れた棚か何かの一部を引き剥がしたものだろう)に載せて、氏のところまで運んでやった。もう用もないので(座る場所もないので)、私は当初の目的を果たすべく切り出した。
「そうだ、あの、貸した本とCD、返して欲しいんですケド。」
「ああ、そうね。うどんソコ置いて。…えーっと、ホイ、ホイ、ホイ――」
 佐藤氏はホイホイ言いながら、積み上がった書籍の山の中から見覚えのある何冊かを取り出した。それらは確かに私が貸した物であった。あのCDも出てきた。一見混沌とした山積みから、いとも簡単に目的の物を取り出す様が手品みたく…私は関心した。
「…へえ、チャントあるんですね。」
「それァ借りた物はそのままさ、ブラックホールとは違うのだからね。」
 しかしよく見ると、私が貸した本は強力な重力場の下敷きになった影響で酷いダメージを受けていた。CDも傷だらけだ。――帰る前にヒコトコ言ってやりたかったが、昆布に喰らいつくウニみたく鍋焼きうどんのアルミ鍋に髭面を突っ込み、ハフハフ言いながら顎に汁を滴らせている様子を見たら、怒る気が失せてしまった。


 そんな佐藤氏が、性懲りも無くまたイベントに出店します。第九回文学フリマ、配置はG―1。新刊は『山猫』という短編だと言っていましたが、あの様子では仕上げられるのかどうか…。同イベントは二〇〇九年一二月六日一一時開場、大田区産業プラザPiOにて開催とのこと。宜しければ冷やかしでも寄ってやって下さい。友人の私からも、お願いいたします。
(一一月某日 小説家、佐藤氏の友人 S)

前の連載を見る

目次を見る

前の連載を見る



Twitterでつぶやく

PDFダウンロード

このノベルのキーワードタグ

うどん(1) 東京(1) ブラックホール(1)

タグを編集するにはログインしてください

この連載は会員のみコメントを受け付けています

ページトップにもどる

作者の自画像

佐藤

プロフィールを見る

佐藤さん

このノベルの読者 (0)

作者のノベル (6)

売れない売れない (1)
目やに目やに (1)
佐藤氏の件佐藤氏の件 (1)